ミセス「ア・プリオリ」歌詞に隠された深い意味とは

「ア・プリオリ」という言葉を耳にして、その意味や、Mrs. GREEN APPLEの楽曲「ア・プリオリ」に込められたメッセージについて気になってこのページにたどり着いた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

この曲は、一見すると難解な哲学用語をタイトルに冠しながらも、私たち人間が普遍的に抱える感情や矛盾を痛烈なまでに、そして皮肉たっぷりに描き出しています。

本記事では、「ア・プリオリ」という言葉の哲学的な意味から、ミセスがこの楽曲で何を伝えたかったのか、その歌詞の深い解釈まで、丁寧に紐解いていきます。

「ア・プリオリ」を深く理解することで、楽曲を聴く体験がさらに豊かなものになるはずです。

この記事のポイント
  • 「アプリオリ」という哲学用語の基礎知識を分かりやすく解説
  • Mrs. GREEN APPLEが「ア・プリオリ」に込めた楽曲制作の意図を深掘り
  • 歌詞に繰り返し登場するフレーズの真意と、その痛烈な皮肉を考察
  • 能天気な他者と、葛藤を抱える主人公の複雑な感情を読み解く
目次

「ア・プリオリ」哲学的な意味とミセス楽曲の深い関連性

  • 哲学用語「アプリオリ」の基本を解説
  • カント哲学から読み解く「アプリオリ」
  • ミセスが歌詞で表現する「アプリオリ」な人間性
  • 楽曲に込められた「気持ち悪さ」の意図

哲学用語「アプリオリ」の基本を解説

「アプリオリ」とは、一体どのような意味を持つ言葉なのでしょうか。

このカタカナ語は、主に哲学の分野で用いられる専門用語です。簡単に言えば、「経験から独立した認識」や「先天的に備わっている機能」を指します。

つまり、何かを経験したり、実証したりする前から、論理や理性だけで理解できる知識や、生まれながらにして持っている性質のことです。

例えば、「1+1=2」という真理は、実際に計算をしなくても論理的に正しいと認識できますよね。また、鳥が生まれつき羽を持っていて飛ぶことができる能力も「アプリオリ」な機能と言えます。

法学の分野では「立証せずとも明らかな事項」という意味で使われることもあります。

例えば、日本国憲法における国民の「生存権」は、議論の余地なく「アプリオリ」なものとして捉えられている、と説明されることもあります。

このように、「アプリオリ」は様々な分野で使われる抽象的な言葉ですが、その根底には「経験に先立って存在する」「必然的で普遍的なもの」という共通のニュアンスがあります。

この言葉の意味を理解することで、Mrs. GREEN APPLEがなぜこのタイトルを選んだのか、その背景にある深い意図が見えてくるでしょう。

カント哲学から読み解く「アプリオリ」

「アプリオリ」という概念は、特に18世紀のプロイセン王国の哲学者、イマヌエル・カントによって深く掘り下げられました。

彼は「近代哲学の祖」とも称される人物です。

カントは、「アプリオリ」を「経験によって獲得するのではなく、生まれた時から持っている認識」と定義しました。

例えば、「自分が自分である」という感覚や認識は、何かを経験して初めて学ぶものではありません。私たちは生まれながらにして、この自己認識を持っている、と彼は考えたのです。

カント哲学では、経験に基づいて得られる知識を「ア・ポステリオリ(a posteriori)」と呼び、「アプリオリ」とは対義語の関係にあります。

例えば、「火は熱い」という知識は、火に触れた経験から得られる「ア・ポステリオリ」な知識です。

一方で、「すべての直線は最短距離である」という命題は、実際に測らなくても論理的に理解できるため、「アプリオリ」なものとされます。

Mrs. GREEN APPLEの大森元貴さんがカントの「純粋理性批判」を読んだかどうかは定かではありませんが、この「アプリオリ」の意味を知ることで、楽曲の歌詞がより深く響いてくるのは間違いありません。

ミセスが歌詞で表現する「アプリオリ」な人間性

Mrs. GREEN APPLEの「ア・プリオリ」は、この哲学的な概念を人間の複雑な内面に落とし込み、皮肉と攻撃性を込めて歌い上げています。

歌詞の冒頭から繰り返し登場する「あれだけ言ったのにバカね」というフレーズは、まさにこの「アプリオリ」な人間性、つまり「忠告をしても聞く耳を持たず、同じ過ちを繰り返してしまう人たち」に対する、主人公の呆れと諦めが表現されています。

主人公はこれまでも「誰かに期待しても最後は惨めになるだけだ」と何度も助言してきたにもかかわらず、多くの人々はその助言を無視し、結局は傷つく結末を迎えてしまうのです。このような行動は、まるで「経験から学ばない」かのような、あるいは「経験しても変わらない」人間特有の性質、つまり『アプリオリ』なものとして描かれています。

特に、「産まれた不思議」「繰り返す意味」といった言葉からは、なぜ人は同じことを繰り返してしまうのかという、根源的な疑問と、その変わらない性質への嘆きが伝わってきます。

この曲は、私たち人間が持つ「期待してしまう」「裏切られてもまた信じてしまう」という、経験では否定しがたい普遍的な心の動きを、「アプリオリ」という言葉で巧みに表現しているのです。

楽曲に込められた「気持ち悪さ」の意図

「ア・プリオリ」は、その歌詞の深遠さに加えて、音楽的な構造にもMrs. GREEN APPLEの明確な意図が込められています。

CanCamのインタビューでメンバーは、「聴いていてただ気持ちいいだけで終わる音楽ではなくて、いい意味で気持ち悪さが残るような曲にしようという話を最初にしていた」と語っています。

この「気持ち悪さ」は、単に不快な音を意味するのではなく、聴き慣れない複雑な要素や、心地よさの裏に潜む違和感を指しているようです。

例えば、楽曲の中には転調がいくつもあり、それが聴き心地に馴染みのない感覚をもたらしている、と髙野さんは説明しています。

また、藤澤さんはメンバーそれぞれが担うメロディが大きく異なり、それらを曲として成立させるのに苦労したと語り、若井さんも全体を貫くリズムの表現が肝になったと述べています。

山中さんは、音符では表せないニュアンスを出すのが難しかったと振り返っており、完成までにかなりの時間を要したことがうかがえます。

このような音楽的な複雑さが、歌詞の持つ皮肉や人間の内面の葛藤と相まって、リスナーに深く考えさせるような、心地よさだけではない「いい意味での気持ち悪さ」を生み出しているのでしょう。

それは、まさに私たちが抱える矛盾や、目を背けたくなるような真実を、音楽を通して突きつけられているかのような感覚です。

ミセスが「ア・プリオリ」で描いた人間の本質と楽曲の魅力

  • 「バカね」が繰り返される歌詞の痛烈な皮肉
  • 能天気な「君」と哀れな「私」の葛藤
  • 「悪い人」と「弱い人」が問いかける真実
  • 「皮肉にもただ君に恋をする」深い感情の揺らぎ

「バカね」が繰り返される歌詞の痛烈な皮肉

「ア・プリオリ」の歌詞で最も印象的なのは、繰り返し登場する「あれだけ言ったのにバカね」というフレーズでしょう。

この言葉は、ただ相手を罵っているだけではなく、非常に痛烈な皮肉と複雑な感情が込められています。

主人公は、助言を無視して突き進む人々に対して「期待をしたら惨めなだけ」あるいは「傷つくだけ」だと何度も忠告してきたにもかかわらず、彼らは同じ過ちを繰り返してしまう。

この「バカね」という言葉には、そんな彼らの行動が理解できないという呆れや、なぜ学ばないのかという疑問、そしてある種の諦めが込められています。

さらに、この言葉の矛先は、他者だけでなく、主人公自身にも向けられていると解釈することもできます。

どんなに忠告をしても聞く耳を持たれない状況が続いているのに、それでも心のどこかで相手が変わることを信じて助言をやめられない自分自身を、「バカね」と自嘲しているのかもしれません。

これは、経験から学んで「もう信じない」と決めたはずなのに、それでも相手に期待し、憎めず、好きになってしまう人間の矛盾した感情、つまり「アプリオリ」な感情を描いていると読み解くことができます。

このように、「バカね」という一見シンプルな言葉の裏には、他者への落胆や怒り、そしてそんな相手に期待してしまう自分への苛立ちや呆れが複雑に絡み合った、深い感情の層が隠されているのです。

能天気な「君」と哀れな「私」の葛藤

歌詞の中では、「君」と「私」という対比が鮮やかに描かれています。

「君」は能天気に楽しそうに生きる人気者であり、「広く浅いの代名詞」と皮肉られています。主人公は、中身がスカスカなのに人気者である「君」を妬ましく思い、深く思考を巡らせて本質的なことを突き詰めているはずの「私」が求められない現実に苦しんでいます。

この描写は、社会の中で表面的な付き合いや、深く考えずに生きる人が、時に成功したり人気を得たりする一方で、真剣に物事に向き合う人が報われないことへの不満や葛藤を表現していると言えるでしょう。

主人公は、「君」のような薄っぺらい繋がりだらけで深く分かり合える人がいないのだろうとチクチクと攻撃し、そんな「君」を前にすると自分のことが「哀れ」だと感じてしまうのです。

さらに、歌詞は「聞く耳を持つこと忘れた大人」や「誰のせいだ!」と責任を押し付ける人々、そして「ホントの自分で居ると腐っちゃいそうです」と言い訳をする「恥さらし者」といった存在を痛烈に批判しています。

これらは、権威に胡坐をかき、他者の意見に耳を傾けず、問題が起きると他人のせいにするような、社会に蔓延する傲慢さや弱さを象徴していると考えられます。

主人公は、そうした人々に対して「付け上がらないで」「地に足つけてね」と、皮肉を込めた忠告を投げかけています。

このように、「ア・プリオリ」は、表面的な成功と内面的な葛藤という、現代社会における人間関係の複雑な側面を鋭く切り取っているのです。

「悪い人」と「弱い人」が問いかける真実

歌詞の終盤に登場する「悪い人ではなく弱い人 その違いが君には解るかな」というフレーズは、この楽曲のメッセージの核心に迫る部分です。

これは単なる言葉遊びではなく、人間の行動の根源にある動機を深く問いかけるものです。

多くの人が他人の意見を聞き入れず、過ちを繰り返したり、責任転嫁したりするのは、彼らが「悪い人」だからではなく、「弱い人」だからではないか、と問いかけているのです。

ここでいう「弱い人」とは、自分の無能さがバレることを恐れ、本当の自分を見せられない、あるいは見せようとしない人々を指していると考えられます。

彼らは、どこかで聞いた言葉や論理を自分の意見のように振る舞い、武装しなければ「腐っちゃいそう」だと感じているのかもしれません。しかし、主人公はそんな彼らに対して、「もう臭うんだよね」と徹底的にぶった切ります。

この「悪い人」と「弱い人」の違いを理解することは、物事を深く考える習慣がない人には難しいだろう、という皮肉も込められています。

そして、そのような「弱い人」が溢れかえる世の中だからこそ、「虚しさの中で溺れる世は こんな歌をまだ唄わせる」と、主人公は歌わざるを得ない現実を嘆いています。本来、こんな批判的な歌を歌いたくないという大森元貴さんの本音が垣間見える一節であり、社会の不条理や生きづらさに対する彼なりの問題提起とも言えるでしょう。

このフレーズは、リスナーに対して、表面的な行動の裏にある人間の本質的な弱さを見抜くことの重要性を問いかけているのです。

「皮肉にもただ君に恋をする」深い感情の揺らぎ

「ア・プリオリ」のラスサビで歌われる「皮肉にもただ君に恋をする」というフレーズは、この楽曲の持つ複雑な感情を象徴しています。

どんなに主人公が助言をしても無視し続け、何度失敗を経験しても変わらない、まさに「アプリオリ」な態度を取り続ける「君」に対して、主人公は呆れ果てています。

能天気に楽しそうに生きる「君」を横目に、深く考え、生きづらさを感じている「私」は、その「君」を羨ましいと感じてしまうのです。

そして、この「皮肉にもただ君に恋をする」という感情は、単なる恋愛感情ではなく、他者に期待し、裏切られてもなお、どこかで信じてしまう人間の普遍的な心の動きを表していると解釈できます。

歌詞の最後は、「汚い窓で何を眺める?」「人の心はいつの時代も何かが足りない 諦めそうだ」と続きます。これは、先を見通せない世の中や、満たされない人間の心の穴を表現していると言えるでしょう。

多くの人はその心の穴を自力で埋めようとせず、他人に期待してしまい、結局は裏切られ惨めな気持ちを味わいます。そして、この「諦めそうだ」という感情は、他者に助言を続けても聞いてもらえない主人公自身の、心が折れそうな惨めな気持ちも示しています。

最終的に「まだ信じて居るなんて」という言葉で終わるこの曲は、皮肉にも、何度裏切られても、そして助言を聞き入れてもらえなくても、それでも心のどこかで相手を信じ続ける、主人公自身の「アプリオリな性格」をも映し出しているのかもしれません。

Mrs. GREEN APPLEは、この楽曲を通して、人間の矛盾や、経験してもなお変わらない普遍的な感情の揺らぎを、私たちに深く問いかけているのです。

総括:ミセス「ア・プリオリ」に込められた哲学的な意味とメッセージ

この記事のまとめです。

  • Mrs. GREEN APPLEの「ア・プリオリ」は2018年リリースの7thシングル「青と夏」のカップリング曲である
  • タイトル「ア・プリオリ」は「経験から独立した認識」「先天的なもの」を意味する哲学用語である
  • 特にカント哲学において、経験に先立つ普遍的な認識として定義される
  • 楽曲では、変わることのない人間の性格や習性を「アプリオリな性格」として表現している
  • 歌詞は「あれだけ言ったのにバカね」という痛烈な皮肉で、他者への期待と失望を描く
  • 主人公は、助言を無視し同じ過ちを繰り返す人々に呆れと諦めを感じている
  • 「君」と「私」の対比で、能天気な人気者と深く思考する自身の葛藤を表現している
  • 「広く浅いの代名詞」や「恥さらし者」といった言葉で、社会の表面的な側面を批判
  • 「聞く耳を持つこと忘れた大人」への痛烈な皮肉も込められている
  • 「悪い人ではなく弱い人」というフレーズは、人間の行動の根源的な動機を問いかける
  • 楽曲全体に「いい意味で気持ち悪さが残る」よう、複雑な転調やリズムが採用されている
  • メンバーは音楽的な難易度が高く、制作に時間を要したと語っている
  • 「皮肉にもただ君に恋をする」という表現は、経験してもなお期待してしまう人間の矛盾した感情を示す
  • 「人の心はいつの時代も何かが足りない」と、普遍的な人間の心の穴を指摘している
  • 最終的に、忠告を聞き入れられなくても信じ続ける主人公自身の「アプリオリな性格」も示唆されている
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この記事を書いた人

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